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桃太郎のBeing values|マズローの欲求階層モデル

人は何のために働くのか。生きるためか、認められるためか、それとも——。
鬼ヶ島で食うや食わずの日々を送る桃太郎たちは、まず生きることに必死になります。しかしやがて、満たされるたびに新たな欲求が顔を出してくる。マズローの欲求階層モデルを軸に、人間の動機づけの深層を物語と解説の二部構成でお届けします。

桃太郎のBeing values

桃太郎一行は、鬼ヶ島で完全に道に迷い、ここ数日は食うや食わずで旅を続けていました。

無駄な動きが多い猿は、エネルギー消費も他のメンバーと比べて大きく、最も衰弱しているように見えます。とにかくじっとしていられないのです。

ほぼ死にかけの猿をおぶり、鬼ヶ島を彷徨い歩いていると、ラッキーなことに一軒の定食屋を見つけました。

「おお、これでやっと一息つけるぞ」

桃太郎たちは定食屋に入りました。

それぞれが定食を注文し、支払いは鬼から奪ったパンツで済ませました。鬼のパンツは良質なレザーでできていたため、換金性が高かったのです。

定食を食べ終えた桃太郎は、お茶を飲みながらぼんやりと最近のパーティーの行動を振り返っていました。

「そういやここ数日は食べもののことばかり考えてたなぁ。
大きな目的を持って鬼ヶ島には来てみたものの、食べ物を求めて右往左往してしまうとは、我ながら情けない」

桃太郎はため息をつきました。

鬼を退治して平和な世界を実現するために鬼ヶ島に来たわけですが、そんな理想も厳しい現実の前ではかすんでしまいがちです。

最近では、鬼を見つけてはパンツを狩り、日々の食費に充てながら細々と生計を立てることでいっぱいいっぱいになってしまっていたのです。

メンバーも暗い表情をしており、どうやら同じ気持ちを持っているようです。そこで桃太郎は、この負のスパイラルから脱するために、まずはちゃんとした仕事に就くことをみんなに提案しました。

「我々の理想に近づくためにも、生活を安定させることが第一だ。貧すれば鈍するというからな。
お金持ちにはなる必要はないかもしれないが、全員がちゃんと誇りを持って働くということがまず求められるのではないだろうか」
メンバーもうんうんと頷いています。

桃太郎たちはさっそくインターネットで仕事を探しました。桃太郎は、その体力を買われて引っ越し会社に契約社員として採用されました。

同様に、犬や猿たちもそれぞれ仕事を見つけてきたようです。

桃太郎一行は、ちゃんと全員が仕事を持ち、着るものや食べるものには困らない状態になっていましたが、住むところに関してはまだ課題が残っていました。

というのも、鬼ヶ島は治安が悪く、夜は鬼どもが喧嘩をしている怒号があちらこちらから聞こえてきますし、真夜中にパトカーや救急車のサイレンが鳴り響くことも珍しくありません。バイクを爆音で走らせるティーンの鬼もいて、雉などは不眠が続いていました。

「うーん、このままでは雉の健康に被害が出てしまうな」

そこで桃太郎は、治安が良いエリアに引っ越しをすることにしました。ホームセキュリティー完備のマンションが見つかり、家賃は高かったもののそこに決めました。

実は猿は、仕事の他にもデイトレードをしており、最近FXで巨額の利益を確定させていたため、そのお金を引っ越し費用に充てたのです。

「よしよし、これでもう一安心。明日も精一杯働くぞ」
安全な家に越したことで、雉もうれしそうにしています。

昼は懸命に働き、夜は感謝とともに寝るというルーティンを繰り返していた桃太郎ですが、忙しい毎日に大きな目的のことを忘れつつあるようです。

気づくと、引っ越しの仕事を始めてから2年が経過していました。

ところで最近、どうやら桃太郎の様子がおかしいようです。犬も心配して声をかけますが、ああとか、うんとか言うだけで、詳しいことを話したがりません。

犬がこっそり桃太郎の職場を見に行くと、仕事中も桃太郎はふさぎ込んでいる様子です。

しばらく観察していてわかりましたが、正社員たちがキャッキャウフフと和気あいあいしている横で、契約社員の桃太郎は輪に入れず、そんな状況に孤独を感じているようなのです。

近代国家を自任する鬼ヶ島ですが、実態は前近代的な身分制を引きずっており、正規社員と非正規社員、本社採用と支店採用、男性と女性、シニアと若者など、いたるところで差別が存在していました。

同一労働同一賃金など夢のまた夢で、契約社員の桃太郎は正社員に比べてだいぶ給料を低く抑えられてしまっていたのです。

犬はこっそり桃太郎の上司にかけあい、桃太郎を正社員にしてもらうようお願いしました。桃太郎の上司は俠気のある人で、さっそく人事部と交渉し、来期から桃太郎は正社員として登用してもらえることになりました。

桃太郎に元気が戻ってきました。落ち着きのない猿をからかったりしながら、楽しそうに毎日を送っています。

社員同士のコミュニティにも参加できるようになり、やれボーリングだ、やれ飲み会だと、仕事時間以外も楽しそうに活動しています。

正社員になり、桃太郎はより一層マジメに職務に取り組むようになりました。その活躍ぶりは本社人事部にまで聞こえるようになり、なんと桃太郎は異例の大抜擢で主任に昇進することになったのです。

犬や猿も、桃太郎の活躍を我がことのように嬉しく見守っていました。

現在、現場のリーダーとして働いている桃太郎ですが、今の夢は本社でマネジメントのポジションに就くことです。

もちろん、そのためには仕事を頑張るだけでなく、大学院でMBAを取得したり、人脈を形成したりと、日々の過ごし方も大切になってくるのでしょう。

先は長く、時にはくじけそうにもなりますが、桃太郎は前向きな気持ちでこれらに取り組んでいます。

自分の仕事にやりがいを見いだすのは自分にしかできませんし、何より自己成長の実感が桃太郎をさらなる難事への挑戦へと駆り立てるのでした。
~おしまい~

解説①欲求階層論

心理学者のアブラハム・マズロー先生が提唱した欲求階層論は、体感では日本のビジネスパーソンのおよそ8割は知っているくらい有名な理論です。

マズロー先生によれば、私たちが持っている基本的な欲求は個人差が少なく、人種や文化に関わらず一定して存在するといいます。そして、基本的な欲求が、相対的な優先度を基準として階層的に構成され、ベーシックな欲求が満たされるとより高度な欲求が現れるとしています。また、欲求が満たされないと不健康になるなど、欲求と健康の関連にも言及しています。それでは、階層上のそれぞれの欲求について、最もベーシックな欲求から見ていきましょう。

まずは生理的欲求で、お腹がすいたらご飯を食べたい、のどが乾いたら水分を取りたい、夜はゆっくり眠りたい、といったものが該当します。生命維持に関する欲求なので、これらが満たされていないと他の欲求をどこかに押しやってしまうほど強力であるという特徴を持ちます。

生理的欲求が満たされると、次は安全の欲求を求めます。これは、身の安全や身分の安定、保護、不安や混乱からの自由、などが該当します。紛争地域などの命の危険がある場所にいたくないと思うのは当然ですし、例えば夜の海や鬱蒼とした森を前にすると恐怖を覚えるのもこの欲求が関係しているかもしれません。

次に現れるのが所属と愛の欲求で、これは社会的欲求とも呼ばれることもあります。家族や恋人、友人や同僚などのコミュニティに属していたい、と思う気持ちがこれに当たります。一人でいるのが好き、という人でも、例えばネットのコミュニティなど何らかの集団には参加していたりはするのではないでしょうか。物理的に誰かのそばにいる、ということもそうですが、属している、あるいは帰る場所がある、といった感覚がこの欲求に当たります。

次が承認の欲求です。これは尊厳欲求や自尊心の欲求などとも呼ばれます。この欲求は大きく二つに分かれており、一つは他者からの評価、もう一つは自らの自己に対する評価に対する欲求です。具体的には、評判や地位、名誉、優越感などです。私たちは誰でも、自分が役立つ存在だと思われたいのです。

自己実現の欲求は、その概念の難しさにも関わらず、やたらと巷で耳にする言葉です。もともとは心理学者のクルト・ゴールドシュタイン先生がつくりだした言葉ですが、人が潜在的に持っているものを開花させ、なり得るすべてのものになること、としており、少し理解するのが難しいかもしれません。

マズロー先生は、最高に平穏であろうとするなら、音楽家は音楽をつくり、詩人は詩を書いていなければならない、と表現しています。

動機づけ、という言葉がある通り、私たちは動機を外からつけたり、つけられたりすることができます。例えば、17時までに仕事を終わらせたらうな丼をごちそうするよと言えば、食いしん坊の人はやる気がでるかもしれませんし、田舎から出てきたばかりで…と都会を躊躇する人には、治安が良い地区に社宅を用意すれば安心して仕事に取り組めるかもしれません。友達がいないと嘆いている人には、社内運動会や社内交流会を企画するというのはどうでしょうか。また、部下が初めての企画を成功させたら、しっかりと言葉や態度で労ってあげることで次への意欲がわいてくるでしょう。

このように、生理的欲求や安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求は、付与することで欲求を満たしてあげることができます。一方、自己実現の欲求はどうでしょうか。これは他の欲求と異なり、ハイどうぞと外側からつけることができません。マズロー先生は、自己実現の欲求を存在動機、それ以外の4つの欲求を欠乏動機とし、欠乏動機は動機づけの問題であり、存在動機は発達の問題であるとしました。

この欲求階層論でよく見かけるピラミッド状の図①では、5つの欲求がシームレスに並んでいるように見えますが、実は図②で示しているように、自己実現の欲求とそれ以外はシームレスではなく、大きく深い断絶があります。ちなみにこのピラミッド状の図①はマズロー先生が示したものではなく、誰かが説明をわかりやすくするためにつくった図であるということをつけ足しておきましょう。

自己実現者が追求する価値のことを存在価値と呼びますが、マズロー先生はその価値について、真、善、美、全、生気、独自性、完全など14種類を挙げています。これら存在価値は階層上になっておらず、真は善であり美である、というように、いずれも同じように重要です。

自己実現については誤解も多く、例えば、仕事が楽しい!という状態イコール自己実現ではありませんし、テレビで活躍しているからと言って自己実現者であるとは限りません。マズロー先生は、歴史的偉人や現代人の中から自己実現的人間をピックアップしましたが、その数は60名程度でした。当時はインターネットなどもなく調査手段が限られていたとはいえ、自己実現者はそこかしこにいるわけではなさそうです。

自己実現とは、動機づけよりも射程が長く、じっくりと期間をかけて存在価値を求めて探していくというものであり、人の発達に関わる欲求であるということを理解する必要があります。

解説②欲求階層論

鬼ヶ島で思うように成果が出ず、桃太郎一行はその日暮らしの生活を強いられていました。道中で無一文になり、それからは鬼のパンツ狩りをしながら日々の糧を得ていたようです。

このとき、一行は生理的欲求を十分に満たせていない状況だったといえるでしょう。この最もベーシックな欲求は、他の欲求に比べて強力であり、桃太郎たちは他のこと、例えば大きな目的のことなどは考えられない状態になっていました。事実、死にかけていた猿にとっては、夢が食えるかよという状態だったのだと思います。

この状況に危機感を覚えた桃太郎は、まずは定職に就くことを提案します。運良く仕事が見つかり、生理的な欲求をそれなりに満たした桃太郎たちでしたが、今度は鬼ヶ島の治安の悪さに難儀させられます。マズロー先生が欲求と健康の関連を指摘した通り、常に不安を抱いて欲求が満たされない雉は健康を害してしまいそうになります。

安全の欲求を満たすために、セキュリティ賃貸に引っ越しを果たした桃太郎たちは、しばらく穏やかに生活します。しかし、次に桃太郎の前に立ちはだかったのが、正規・非正規の壁です。

一生懸命働いても、正社員との壁を感じてしまい、次第にやる気を失っていきます。ダイバーシティ&インクルージョンが叫ばれる中、鬼ヶ島はこういった世間の動向にかなり後れを取っていたといえるでしょう。こうした差別は、本人の人間性を貶める行為であることはもちろんですが、巡りめぐって鬼ヶ島の生産性向上を妨げることにもつながるということを忘れてはなりません。

例えば、人でも鬼でも優秀ならどちらも採用する会社と、鬼の賃金は人よりも低くて当然としている会社があった場合、優秀な鬼がどちらの会社を選ぶかは明白でしょう。今はインドの優秀なハッカーにシリコンバレーから直接オファーが届く、という時代ですから、鬼ヶ島も島の方針を見直す時が来ているといえます。

物語に戻ると、侠気のある上司の計らいによって、桃太郎はついに正社員に登用されます。ボーリングや飲み会にうつつを抜かす桃太郎ですが、もしかするとガールフレンドなどもできていたのかもしれません。

所属と愛の欲求を存分に満たした桃太郎は、主任に抜擢され、承認の欲求をも満たしていきます。
もちろん、桃太郎の冒険はここで終わりではありません。ここからは真善美を目指して、自分の存在や価値を探す新たな旅路が始まるのです。

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